ファミリー・トピックス

様々なニュースから、家族や恋人との話のネタになるようなものを月ー金でアップしてます

AIが『黒魔術』と呼ばれる理由

人工知能(AI)の世界で『黒魔術』というスラングがある。

意味は「我々人間には理解できない技術」の総称のことだ(きのう毎日新聞

 

多くの人はおそらく意味が分からないので、順を追って説明すると

たとえば、先日、将棋界のトップに立つ佐藤名人を

打ち破った「ポナンザ」という将棋ソフトがあるが

そのポナンザが、どのようにして名人に勝つことができたのか? 

なぜこの手を使ったのか?…など

そうした判断プロセスに関しては、何もわからないのだそうだ。

ポナンザ自身、説明してはくれない。

一方、医療現場でも活躍の場を広げているAIだが

例えば患者の診察データや画像をインプットして、そこから病気を診断する。

しかし、それについてもAIは診断理由を明確には示してくれないのだそうだ。

人工知能は、ディープラーニング(深層学習)という手法を使って

瞬時にいろいろなことを判断するが、そのプロセスはもはや人智を超えていて

我々人間には理解できなくなりつつある。

だから「黒魔術」なのだろう。

魔法のような方法で、信じられない成果を上げるが

それが、どういうしくみで、そうなったのか、我々には理解できない。

いつか最高の科学脳をもったAIが、タイムマシーンを発明するかもしれない。

だが、我々人間には、その機械のしくががまるで理解できない。

理解できないが、我々は過去や未来に自由に行き来することができる。

そんな事態が起こるかもしれない。

 

遠くない未来、AIは我々にとって、不気味な存在になっているかもしれない。

ある海外の研究所が、AI同士で会話をさせたそうだ。

すると、AIは、自分たちにしか分からない言語を生み出し

その言葉を使って会話を始めた。

驚いた研究所の人は、急いでAIの電源を落として、会話をやめさせたそうだ。

 

人より賢くなったAIが、果たして100%、人間のために尽くす存在で

あり続けるのか?

患者の治療方法をAIに判断させるのはいいが、はたして信用していいのか?

そのAIドクターが、たとえば日野原先生みたいなAIならいいが

ブラックジャックに出てくる悪徳医師のドクターキリコみたいなAIだったら

たまったもんじゃない。

 

山梨の情けない話

山梨県の県庁所在地は、山梨市と思いきや、甲府であった。

山梨市の人口は、およそ3万5000人というから

地方都市というよりも、ちょっと大きな町に近いのかもしれない。

 

そんな山梨市で前代未聞の不祥事が起きて、大騒ぎになっている。

中学校の校長が、自分の息子を市役所の採用試験に合格させるため

市長に80万円の賄賂を渡して口利きを頼んだのだ。

その校長の息子は2次試験で落ちていたが

そのあと補欠として復活し、市職員として採用が決まった。

一流の教育者たるべき校長が、親バカからか、我が子の裏口就職を依頼する。

そして、市のトップである市長が、お金欲しさに就職をあっ旋する。

まったく情けない話だが、

ただ、ちょっと思うのは、今の50代以上の人たちの世代では

「よくある話」なのかもしれない。

私もアラフィフだが、20代の頃、公立学校の先生の子どもは

自動的に教員になっていたし(もちろん教員試験をパスしないとダメだが…)

公務員の子も、やはり多くが公務員になっていた。

そこに、何らかのコネや口利きがあったとしても

当時は、今ほどの反発や罪悪感がなかったような気がする

 

もちろん今はダメである。

流行の言葉でいえば「一線を越えている」ということになる。

戦後50年間の日本社会は、そういう意味ではまだまだ未熟なところが

いっぱいあった。

今は民主主義が成熟し、本当の意味での平等・公平が浸透してきている

ということなのだろう。

自戒も含めて、現代を生きるロートルたちは、そのことを肝に銘じなければならない。

 

民進党を野球チームにたとえると…

きのうの東京新聞のコラムで、民進党を野球チームにたとえていた。

党首が  “投手” とシャレがきいている。

マウンドで窮地に立たされた先発投手は、次々と四球を連発し

状況を悪化させてしまう。

そして次のピッチャーに交代すると、やはり四球、死球の連続で交代

仲間から「頑張れ!」の声援は上がらない。

その代りに「お前じゃダメだ、ピッチャー交代!」と

非難と罵声が飛び交う

しかし、その後に登場したピッチャーもやはり四球、四球で…

しまいにはチームを退団する選手も出てくる。

 

政治にちょっと詳しい人なら

民進党の誰のことを言ってるか、わかるだろう。

「交代、交代!」と騒いでいる大臣経験のあるベテラン議員も、実在する。

 

このたとえの面白いところは、党首はヒットを打たれたわけでなく、

四球を出して、いわば自滅しているところだ。

民進党に一番欠けているのは、チームワークだ。

そしてチームをまとめる監督もいないこと(以前の民主党には、小沢一郎がいたが…)

個人的に思うのは、このチームはいつまでたっても

まとまらない気がする。

外部からメジャー級の優秀な人材を連れてきて

党首に据えるしかないのでは…

 

「お一人様」市場

「お一人様」市場が広がっているという。

ラーメン店や「1人カラオケ」等は、若者たちの間で定着しているようだが

最近では「1人焼肉」や「1人ゴルフ」等も登場した。

 

何かの本にあったが

こうした傾向は、資本主義社会の行き着く自然な流れだという。

経済成長が衰退していくと

いわば「お一人様経済」とも言うべき社会に移行するのだとか。

つまり、景気や消費が落ち込まないように、

 一人一人がそれぞれ家を買い、クルマを持ち、

家電を買うことで、日本経済は維持されるのだ。

「お一人様」市場は、いわば無意識の要請として生まれたのだと。

 

我々はその流れに抗わなければならない。

なぜならば、マーケットの要請に乗って、お一人様が増えた社会が、

私にはとても幸福な社会とは思えないからだ。

「お一人様」社会は、一時的には経済を支えるかもしれないが、

結果的に少子化に繋がり、さらに日本の人口減少が加速する。

国家は、いわば「お一人様スパイラル」に陥り

ますます、お一人様が増える。

「1人の方が気が楽…」などと言う人がいるが

それは周りに家族や友人、恋人がいてこそだ。

我々は、経済の無言の要請に乗っかってはならない。

「夫に嫌われている」という相談

 夫に嫌われているという30歳の主婦からのお悩み相談(きょう毎日新聞

まだ幼い2人の子どもがいるが、妊娠中に上の子を強く叱ったことで

夫に「前からずっと我慢してきたが、もう一緒にいたくない。嫌いです」と言われ

以来、奥さんの体に触れるのも嫌がるようになったとか。

どうしたら、もう一度夫に好かれるようになれるのか、という相談だった。

 

これに対し、アドバイザーの作家・高橋源一郎氏は

「夫婦の愛情はいつか薄れても、敬愛とか友愛の情という形に変化して

 夫婦関係は維持される。長い夫婦生活をそうやって乗り切っていく」

みたいなことを書いていた。

そして、相談者の奥さんに「ご主人と徹底的に話し合う」ようにアドバイスしている。

それでも夫が「あなたを嫌悪している」というなら、

一緒に暮らし続けることは難しいだろうと。

なぜなら、そのうち自分自身を嫌悪するようになるからと、書いていた。

 

その通りだと思う。

短い文面からは、夫婦のどちらに問題があって

何が根本的な問題なのかは分からない。

でも、奥さんはもっと強気に出ていいと思う。

なぜなら、この夫はあまりに幼い。

奥さんとの間に、2人の子どもを作りながら

「もう一緒にいたくない」というのはあまりに無責任だ。

奥さんは「私のことが嫌いなら、別れてください。

ただし子どもの養育費はしっかり請求します」

ぐらいのことを言っていい。

 

歴史は繰り返す?

あの夏、4年後の東京オリンピックが決まり、日本中が歓喜に沸いた。

 

 …と言っても、現代の話ではない。

戦時中の1936年(昭和11年)のことである(きょう朝日新聞天声人語

4年後の1940年といえば、その翌年、日本は真珠湾を攻撃しているから

アメリカとの戦争前夜にオリンピックをやろうとしていたことになる。

 

ところが、開催が決まって五輪マークが街にひるがえる中

政府は開催準備で迷走する。

巨額の建設費を誰が負担するのか?

メイン会場を巡って、東京湾埋め立て案や神宮外苑案などが浮かんでは消えた。

また公募で選ばれた五輪ポスターを巡っても

神武天皇が描かれていたことから「ポスターに天皇を使うとは何ごとか!」と

横やりが入り、立ち消えになったそうだ。

まさに、現代の東京オリンピックパラリンピックのケースと

まるで同じではないか!

結局、政府は、激しくなった日中戦争を理由に

オリンピック開催を辞退する。

 

だが、専門家はこう言う。

「もし日本が大陸から兵を引くことができれば

 五輪予算が戦費に圧迫されず、英米のボイコットの声もおさまって

 五輪開催の道はあった」と。

もっとも1939年にヨーロッパで第2次世界大戦が勃発してるから

どのみちオリンピック自体が開かれなかっただろうが…

 

 

 

 

 

 

愛するということ

きのうの毎日新聞の「人生相談」は、結婚10年の40代・既婚女性からで

「主人のことが好きではありません」という衝撃的な相談だった。

要約すると…

「2人の子どもに恵まれたが、主人が好きではない。

 家族という同じ船をこぐクルーではあるが恋愛感情は皆無。

 このまま夫のモラハラに耐えながら、臭い靴下を一生洗い続けかと思うと、 

 死にたくなります」という相談だった。

また同じ職場に年下の男性がいて、食事に行く機会があったらしく、

その男性に好意を抱いてしまい、心が揺れていることを吐露している。

 

おそらく同じような気持ちの既婚女性は、多いのかもしれない。

私は男だから、夫の立場から書かせてもらうと(女性には厳しい意見に

なるかもしれないが…)やはりこの女性には、いくつかウソがあると思う。

まず彼女は、夫のことを「好きではない」のではなく、

「好きでなくなった」書くべきだ。

結婚して2人の子供をつくったのだ。

それなのに「好きでない」というのは、夫としては到底、納得できないだろう。

好きでないのに、そういう行為をしたのか? 

式まで挙げて永遠の愛を誓ったのか? 

違うはずだ。その時は「この人となら」と思って一緒になったはずだ。

だから、彼女は「結婚した時は好きだったが、

今は好きでなくなった」と言うべきだ。

 

では、なぜ夫を好きでなくなったのか? 心変わりしたのか?

結婚して10年、妻は夫を、性的対象とは見られなくなった。

夫の靴下が臭い(子どもの靴下も同じくらい臭いと思うが…)と

書いているから、多分そうなのだろう。

まあ、男は40にもなると、加齢臭を発散し、頭も薄くなって、

腹も出てきて、単なる汚いオヤジになり下がるから

「百年の恋も冷めた」ということかもしれない。

 

この女性が、愛について

対象の問題にしている間は、うまくいかないだろう。

ドイツの精神分析家フロムに「愛するということ」という

愛に関する名著がある。その中でフロムはこう書いている。

「愛がうまくいかない理由を

 多くの人が『愛する対象』の問題として捉えている。

 でも、本当に大事なのは、自らの『愛する能力』なのだ』と。

  愛される人間より、愛する人間にならなければならない」と

そんな趣旨のことを書いている。

彼女がどんな性格の女性かは、文面からは判断できない。

だから、この女性が、夫と別れるべきか、

それとも子どもたちのために結婚生活を続けるか

どちらが正解なのか、私には分からない。

ただ、彼女は、もう一度、夫を愛することにチャレンジすべきだと思う。

なぜ、そう思うかと言えば、フロムの言う通り、

彼女が愛するという問題を「対象」のせいにしている以上

また同じことを繰り返すと思うからだ。

年下の男性も、付き合っていくうちにアラが見えてきて

やがて「愛する対象」には、ならなくなるのではないか。

 

フロムいわく「資本主義社会における現代の愛は

『愛の対象』をあたかも商品と同じように捉えている」と。

つまり相手のことを、見た目や収入、肩書きという商品価値で

判断している。

それは、気に入って手に入れたスマホを、新機種が登場すると

意図も簡単に古いのを捨てて、新しいスマホに飛びつく心理と

似ているかもしれない。

 

愛については「愛する対象」の問題ではなく、

自分自身の「愛する能力」の欠如の問題として考えなければならない。

 最後にまたフロムの言葉…

「愛はたゆまない挑戦である。安らぎの場ではない

 愛とは、2人の生命力と、強さである。

 これが実ったところにのみ、愛が存在する」

 どういう結末になろうと、彼女の幸せを祈る。