大学生の半数が「読書時間0」の衝撃
きのう8日の朝日新聞の投書コーナーに、
『本を読まないのは本当に良くないのか? 読書が生きる糧になると感じたことはない
読書しなければならない確固たる理由があるなら教えて頂きたい』
という趣旨の21歳の大学生の声が紹介されていた。
大学生協の調査によると、今の大学生のおよそ半数が、読書時間「0分」なのだそう
だ。つまり本をまったく読まない。
確かに電車に乗ると、誰も彼もがスマホに夢中で、本を読んでいる人をパッタリ見かけ
なくなった。さもありなんということか…
うちにも4月に大学生になる息子がいるが、ほとんど本を読まない。
子どもの頃から読め読めと口酸っぱく言ってきたが効果なし。何でも予備校の現国の
先生に「本を読んでも読まなくてもテストの点は変わらない」と言われたそうで、
最後まで親の意見に耳を傾けることはなかった。
スマホでLINEをしたりネット記事を読んでいれば、読書したと同じぐらい文字に
触れているから、それなりに国語力や読解力は培われているのかもしれない。
ただ、1つだけ気になることがある。
記者の書くネット記事やLINEの文章は、いかに相手に分かりやすく伝えるかを
重視しているので、難しい言葉や複雑な文章は避ける傾向がある。
一方、一流の作家の書く文章は「搾り出した言葉」だ。
私は藤沢周平の時代物が好きでをよく読むが、例えば今読んでる初期の作品
『暁のひかり』の中からちょっと拾っただけでも、こんな文章がある。
「眼の前に坐っている女には、にじみ出るような暗さがある」
「勢五郎の顔は、頬は抉(えぐ)ったようにそげて、鷲の嘴(くちばし)のように
尖った鼻をし、凹んだ眼窩(がんか)の奥に、びいどろの玉をはめたような眼が
冷たく光っている」
まあ、こうした素晴らしい人物描写が、「生きる糧になる」とまでは言えないのかも
しれないが、少なくとも僕にとっては、想像力をかき立てられ心を豊かにしてくれる。
読書をするべき確固たる理由にはならないが、一読する価値はあるのではないか。