3月11日 あの日…
読売新聞の『人生案内』に、被災地の女子大学生から投稿があった。
東日本大震災のあった2011年の、5月23日の記事である。
「あの日、私は祖母と一緒に逃げました。でも祖母は坂道の途中で
『これ以上走れない』と言って座り込みました。
私は祖母を背負おうとしましたが、祖母は頑として私の背中に乗ろうとせず、
怒りながら私に『行け、行け』と言いました。
私は祖母に謝りながら一人で逃げました。
祖母は3日後、別れた場所からずっと離れたところで、遺体で発見されました。
気品があって優しい祖母は私の憧れでした…(中略)
助けられたはずの祖母を見殺しにし、自分だけ逃げてしまった。
そんな自分を一生呪って生きていくしかないのでしょうか。どうすれば償えますか
毎日とても苦しくて涙が出ます。助けて下さい」(A子)
6年前のあの日、このような厳しい現実が、あちこちに溢れていた。
「人生案内」は一般からの悩みに、識者が答えるというスタイルだが、
心療内科医の海原氏は「お手紙を読みながら涙が止まらなくなりました」という
正直な心境を吐露し、その上で、
「おばあさまの素晴らしさは、あなたの中に受け継がれていることを忘れない下さい。
あばあさまが生きていたら、かけたい言葉、してあげたいことを、
周りに居る人たちにかけたり、してあげたりして下さい。
そのようにして生き抜くことが、憧れだったおばあさまの心を生かす道に思えます」
と結んでいる。
あれから6年…手紙を送ってきた彼女が、苦しみや悲しみに押しつぶされずに
強く生きていることを願って止みません。