ファミリー・トピックス

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プラス・ハンディキャップ

 

『プラス・ハンディキャップ』というウェブサイトがあって

いろんな理由から「生きづらさ」を抱える人たちが、その思いや日常を

ネットで発信している(7日・東京新聞

障害をもつ人や難病、うつ病、性的マイノリティー、引きこもり、ニートなど…

そうした人たちの本音やリアルを知ってもらい、広く理解と関心をもってもらおうと

いうものだ。

今の時代、「生きづらさ」を感じているのは何もこうした人たちばかりでなく

一見、“社会的成功者”と見られる人たちの中にも多いのではないか。

私の高校時代の同期に、国立の大学病院の准教授がいる。

もちろん給料は良いし、社会的なステイタスは高いが、仕事漬けの毎日で

悩みも多いのだとか。

例えば、難しい手術の前日には一睡もできないこともあり

「50歳にもなって、受験生のような生活を送るとは思わなかった」と嘆いていた。

みんな多かれ少なかれ「生きづらさ」はあるのだと思う。

 

そのサイトの中で、佐々木一成編集長(彼自身も障害者だそうだ)が

日本テレビの24時間テレビについて『障害者はナメられている』という記事を

書いていた。

24時間テレビは、毎年毎年、障害の種類を変えて、手を替え品を替え

『障害者が頑張る姿』→『それを見た健常者は感動して涙をこぼす』

という図式の企画を繰り返している…と主張し、番組を見るたびに

「怒りと悔しさが入り混じる感情に悩まされる」と語っている。

 

確かにそうだ。

ダウン症の子どもが踊ったり、障害者が遠泳に挑戦したりと

その手の企画が多い。しかも、それは大きな反響を呼び、高視聴率をとる。

 

人の頑張る姿は美しい。

障害が大きければ大きいほど、ドラマ性も増す。

もちろん障害者が無理やり、やらせられてるとまでは言わないし、

それが本人にとって、今後の自信になるかもしれない。

でも、それを見ている視聴者の方は、違う感覚で見てないだろうか?

やはり障害者が、“見せ物”とされている感は否めない。

一方で、佐々木編集長は「障害者はもっと社会の中で頑張らないといけない」と

書いている。

障害があっても踊ることはできるし、泳ぐこともできるのだ。

現にダウン症のプロのダンサーもいるらしい。

「障害者は健常者と同じことができない」という思い込みがあるからこそ、

24時間テレビのような企画が生まれるのだ。

 

こうした障害者に対する過度な配慮や思い込みを払拭する起爆剤となるのは

パラリンピックだろう。

パラリンピックが広く認知され、障害者への理解が進めば

24時間テレビのような“お涙頂戴ネタ”が、企画として成立しなくなるのではないか。