二度目の19才
昨日の毎日新聞(夕刊)に、名古屋に住む66歳のクリスチャン女性・Aさんが
東京拘置所に服役している死刑囚(42歳・男性)と
交流を続けているという記事が出ていた。
当時19才だった彼は、1994年、仲間数人と、通りがかりの男性にインネンをつけ
暴行後、殺害をした(大阪・愛知連続リンチ殺人事件)
彼は、逮捕から4年後の98年、突然「聖書を学びたい」と言い
Aさんが手を挙げて、それから今日まで、交流を続けている。
記事によれば、彼は、生まれてすぐに実母と死別している。
その後、家に来た養母から、煙草の火を押し付けられるなどのヒドい虐待を受けた。
こうした彼の生まれ育った境遇が、少なからず犯行に影響してるのではないだろうか
Aさんは、最初に面会した時、彼にこう言われたという。
「自分は簡単には変われない。今が0才だと思ってほしい」
この言葉は、彼が、自分のことを冷静に見ていて、
自分自身をよく分かっていることを示していると思う。
『罪を憎んで、人を憎まず』とよく言う。
彼のやったことは絶対に許されるものではないが
その犯行の根底にあるものは、彼の『無知』ではなかったか。
「お前は根っからの性善説の信奉者で、犯罪者に対する認識が甘い」と
言われるかもしれないが、あえて私は思いたい。
彼が、生まれつきの「犯罪者」ではない。
だから、きちんとした親がいて、愛情をもって育てていたら、
彼は、殺人など犯さなかった。
むしろ、彼の周りにいた大人、特に父親の責任は重い。
母親がいなくても、父親がもっと愛情を注いであげていれば
彼は死刑囚などにならずに済んだはずだ。それが、悔やまれてならない。
今、二度目の“19才” になった彼が、どんな人間に育っているのか
記事は伝えていないが、彼はAさんのことを「おかん」と呼んでいると
書いてあった。