読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ファミリー・トピックス

様々なニュースから、家族や恋人との話のネタになるようなものを月ー金でアップしてます

核なき世界と日米安保のはざまで…

きょうは聖教新聞から。

どういう理由か、一家聖教新聞を3部とっている知り合いがいて、

その方のご好意で、1部をうちのポストに入れてもらっている。

新聞には、創価学会のいろいろな活動報告が載っていて、

おもに平和と教育、社会奉仕、人民救済などに力点を置いていることが分かる。

 

3月31日の一面に、創価学会インターナショナルSGI)が

宗教間の壁を超えて「核兵器を憂慮する宗教コミュニティー」に参加し

国連の『核兵器禁止条約』の制定に賛同しているという内容の記事が出ていた。

しかし、日本政府は、米国に配慮してか、この条約には反対している。

核兵器保有国と非保有国の溝を深めるだけ」というのが外務省の見解らしいが、

公明党も加わっている政府与党と、その母体である創価学会の意向が

180度違うのには驚いた。

唯一の被爆国で、多くの日本人が“核なき世界”を望んでいるにもかかわらず

アメリカの“核の傘”に守られている手前、条約に賛成できないというのは

どうにも合点がいかない。

もちろん難しい判断であるとは思うが、日本人のアイデンティティが問われている。

どうか、ここは政府与党である公明党を動かしてでも、

7月に再開される『核兵器禁止条約』交渉には毅然と、

前向きに取り組んでもらいたいものだ。

 

 

「妊活」という言葉は…?

30代女性からのお悩み相談(30日・読売新聞『人生案内)

話の趣旨は『結婚して不妊治療を続けてきたが、子どもができないことが判明し、

そうしたことが原因で夫とケンカが絶えなくなり、結婚3年にして離婚した』と

いうものだった。

そういえば昨日のYahoo!ニュースにも『妊活クライシス』という

聞きなれないワードが出ていた。

定義は「妊活中の夫婦が“赤ちゃんが欲しい”と強く願うばかりに、相手を責め、

自分を責め、夫婦の間に不信感が募ること」なのだそうだ。

例えばこんな例…

仕事から帰宅した夫に、妻が言う

「今日、排卵日なの」

「そう。いいよ」

すると、妻は心の中で不満が生じる。

(いいよって何?…なんで、私がお願いしたことになってるの?)

そして、その一ヵ月後、生理がくるたびに妻は「子どもが死んじゃった」と

我が子を失った喪失感を感じるようになる。

一方の夫は

「また次、頑張ればいいじゃないか」

と、悪気もなく言う。

(そういう問題じゃない!)と、さらに不満がつのる。

 

結婚した以上、やはり子どもを授かりたい。

我が子をこの手で抱きしめて、慈しみたい。

だから、妊活に励む。

親も「はやく孫の顔が見たい」と期待するから

さらに妊活に励む。

それでもできなければ、今度は病院に行き、お金をかけて不妊治療を受ける。

こうなると、もはや子どもを産むのは、至上命令だ。

でも、昔から言うように『子どもは授かりもの』で、絶対できるというものではない。

 

そもそも「妊活」という言葉が良くない。

就活や婚活みたいに言うのはどうかと思うし、

同じように扱うのは、危険すら感じる。

就職や結婚の活動なら、本人が努力して、自分の理想を下げさえすれば

たいていの人は(不満があるかどうかは別にして)それなりのゴールが見つかる。

でも「妊活」はどうか? 

いくら必死に努力しても、現代の最先端医療に頼っても

必ず報われるというものではない。

つまり「ゴールがない」ということも多々あるのだ。

 

妊活自体は否定しないし、励めばいいと思うが

 でも、どうか無理だけはしないでほしい。

周りの人も、過度な期待はすべきでない。

時代は変わっても、どんなに医療が進歩しても

やはり『子どもは授かりもの』という本質は変わらない。

 妊活することで夫婦が不仲になって、離婚するなんて

本末転倒で、悲しすぎる。

思い出してほしい。

そもそも子どもを産むために、結婚したわけではないはずだ。

お互い愛し合って、この人ならと思って一緒になったはずだ。

サッカー道

ロシアW杯サッカー出場に、光明が差してきた。

UAE、タイに2連勝。

その勝利の立役者になったのは、間違いなく久保裕也選手(23)だろう。

2ゴール、3アシストの活躍を見せ、

フル代表の経験がほとんど無いにもかかわらず、積極的にパスを要求するなど

チームを牽引した。

 

久保選手を初めて見た時、正直、ジミーな選手だなあと思った。

イケメンが揃う日本代表の中にあって、色黒で、朴とつとした久保選手は

まるで幕末の銀板写真に写っている武士のように、私には見えた。

 

そんな久保選手に驚かされたのは、プレーもさることながら

試合後のヒーローインタビューだ。

ふつう、この手のインタビューは、だいたいの選手が高揚して

ハイテンションで嬉しそうに答えるものだ。

だが、久保選手は、観客の大声援の中にあっても、まるで動じることなく

静かな口調で語りはじめた。

「落ち着いてシュートを打つことができた。それが良かった」と、淡々と。

 一喜一憂してない、いつもと変わらない自然体のままで

カメラの前に立っていた。

 

日刊スポーツの記事によると、

久保選手の父親は、剣道や空手など武道に精通した人で

母親も合気道をしているそうだ。

インタビューに「父は厳しく、何度か本気で死ぬと思った(笑い)

でも5歳からサッカーを始めて一度もグレる暇がなかった。感謝しかない」と

語っている。

もしかしたら、久保選手のあの落ち着きぶりは、武道による精神修行で

培われたものかもしれない。

 

サッカーと武道の融合。

つまり『サッカー道』みたいな指導法があっても面白いのではないか

絶好のシュートチャンスに、思わず力が入って外してしまう場面をよく見るが、

武道で鍛えた強い精神があれば、久保選手のように、どんな時も冷静にゴールを

決められるのではないだろうか。

 

 

不思議な役所

文部科学省は不思議な役所である」(29日・日経新聞コラム)

文科省といえば日本の教育の要だが、

最近、何かとニュースに取り上げられることが多い

たとえば職員の天下りの問題。

省内で「外部の人間があっせんする分にはいいだろう」という独自のルールを

作り、せっせと職員を再就職させていた。

 

また先月の2月には、小学校の教科書に「鎖国」や「聖徳太子」という言葉を

「今後は使用しない」方針を示しておきながら、

世論や国会の激しい批判を受けると、今月になって「元に戻す」と発表した。

“教育の要”がやることとは思えない「朝令暮改」の極みである。

 

そして今度は、来年4月から小学校の授業課目となる『道徳』の教科書検定である。

教科書には、いろいろな物語が出てくるが、その文言に文科省はクレームをつけた。

例えば…

消防団のおじさん」→「消防団のおじいさん」に修正を指示

おじさんでは、高齢者への尊厳と感謝の念が足りないという理由だ。

さらに…

「町でパン屋を見つけた」→「町で和菓子屋を見つけた」に修正を指示

祖国や郷土文化に親しみと愛着を持つという観点からだそうだ。

そして極めつけは…

「公園のすべり台などで遊ぶ子供」→「和楽器店で楽しむ子供」に修正を指示

何処にあるんだ、和楽器店が!?…って言いたくなるが

長年の論争の末に「道徳」教育が決まったらしく、

その分、文科省も無駄に力が入ってるのかもしれない。

 

道徳心を養うことは大事だと思うが、

子どもたちを、ある思想をもった“型”に、はめようとしてないか

しかも、自分たちに都合の良い“不思議なルール”をつくる省庁のやることである。

どういう力学が働いてるか分からないが

我々は、文科省の施策に注視しておかないと、とんでもないことになるのではないか。

フルスイング

「高校生になったら甲子園でホームランを打つから」と母と約束した。

毎日新聞(27日・夕刊)に、きのう甲子園に出場した作新学院の相原光星選手と

4年前に乳がんで亡くなったお母さん・美穂子さん(享年48歳)との

感動的な物語が出ていた。

 

美穂子さんががんを発症したのは、光星選手が小学生の時。

その後、再発するも、病気のそぶりは見せずに

抗がん剤などの在宅治療で、3人の子どもを育てた。

そして、光星さんが中学2年の時、再入院。

余命宣告を受けるも、息子には「すぐに治るから安心して」と言った。

そして、その入院中、光星さんは母に約束した。

「高校生になったら、甲子園でホームランを打つから」

もちろん母を励ますためだ。その言葉の裏を忖度すれば

(自分は必ずお母さんを甲子園に連れていくから、それまで生きてほしい)

一方の母は、きっと笑顔で「うん、わかった」と答えたはずだ。

その言葉の裏には、

光星なら必ず行ける。だから私のことは心配しないで、野球に打ち込んでほしい)

と、言いたかったのではないだろうか。

美穂子さんは、入院して数か月後に旅立っていった。

 

記事を読んで、この母子の結びつきの強さに、驚愕せずにはいられない。

この母子は病気を無視している。いや、むしろ“無力化”しているとでも言うべきか。

がんという“死に至る病”に直面しても、母子の愛情は揺るがない。

たとえ病魔でも、2人の絆を引き裂くことはできないだと訴えているかのように

ふだん通りに振る舞っている。

並の家族なら、母ががんになったショックや家庭環境の激変で

野球どころではなくなると思うのだが

美穂子さんは最後の最後まで、病気を隠してふつうの母親のように行動した。

息子の光星さんは、ひたすら野球に打ち込んだ。

どうしてそんなことができるのか? 人間そこまで強くなれるのか?

筆者は、母と子の深い愛情ゆえの為せる技としか思えない。

 

もちろん死に別れるのは悲しくて、つらいことだ。

でも、たとえそうなっても、親子の結びつきは永遠に変わらない。

だから母が亡くなった後も、息子はブレることなく野球に取り組んだ。

そして、母と約束した、甲子園出場を見事果たしたのだ。

 光星選手は5番打者で、ホームランこそ出なかったが

8打数3安打の好成績だった。

バッターボックスではつねにフルスイングしたそうだ。

その光星選手の言葉が、記事に出ていた。

「今でも母は自分の中にいます」

 

脚本家は農民

今日は、家族ネタではなく、個人的に興味のある話を。

 

羅生門」「七人の侍」「私は貝になりたい」「白い巨塔」「八つ墓村」など

挙げたらキリがないほどの数々の日本映画の名作を世に送り出した脚本家

橋本忍さんに関する記事が、24日の読売新聞夕刊に出ていた。

98歳になる今も執筆意欲が旺盛で、「小説を書くことに興味がある」と語って

床に臥せがちながらも、書斎には小説用の資料が山積みになっているそうだ。

 

橋本さんに師事していた経験がある山田洋次監督は、当時、貴重なアドバイス

もらったことがあるそうだ。

「決して鉛筆を手から離してはいけない」

「脚本家は農民。水をやり、雑草を抜き、成長したら収穫する。

 忍耐力のある人が勝つんだ」と語ったそうだ。

 

また橋本さんは実業家としても一流だった。

松本清張の長編ミステリー『砂の器』の映画化を企画した時、

大手の映画会社はスケールが大きすぎて採算がとれないと敬遠した。

そこで、橋本さんは自ら独立プロダクションを立ち上げて映画を製作し、

見事大ヒットさせた。

強い意志と信念の持ち主でもある。

完璧な妻

読売オンラインの『発言小町』に寄せられたある男性からのメッセージ(3月21日)

妻に対して悩んでいるようで、要約すると…

『私は結婚9年目で、年収900万円、3人の子宝にも恵まれ、家も購入しました。

 妻は家事を完璧にこなし、私は手出し無用です。

 週に4日カフェで働き、家はいつもきれい、晩の食卓には何品も手料理がならび、

 食後は手作りのデザートまで付いてくる。

 帰宅すると、幼い子どもたちはすでに寝ていて、彼らの書いた短い手紙やイラストを

 読みながら食事するのが日課です。その間、妻は一緒に食卓に座って、私の話を

 笑顔で聞いてくれます』

 まさに絵に描いたような理想の妻だが、男性は…

「息が詰まりそうになる。不満はないのに、家にいると焦燥感というか、

 落ち着かなくなる。帰りたくなくなり、駅のホームのベンチで

 10分ぐらい座ってから 帰るのが日課です」と。さらに…

「妻と子供は愛している。妻には感謝している。

 どうしてこんな気持ちになるか、わからない」と綴っている。

 

妻に先立たれた私には「なんて贅沢な悩み」と、怒りすら覚えるが

まあ、でも気持ちがわからなくもない。

きっと、この男性は家でくつろぎたいのだ。

誰に気兼ねすることなく、風呂上がりにパンツ一丁で、

ググッとビールを飲みたいのかもしれない。

でも、そんなことをしたら、妻は一発で自分のことを軽蔑するかもしれない。

そんな複雑な思いが、男性を息苦しくさせているのだろうか…