ファミリー・トピックス

様々なニュースから、家族や恋人との話のネタになるようなものを月ー金でアップしてます

入学式から拍手が消える日

入学式の季節。

中学校の教員からの投書によると、

今、入学式から拍手が消えかけているそうだ(きのう毎日新聞・オピニオン)

司会の先生が「新入生が入場します。大きな拍手でお迎えください!」と

言っても、まばらな拍手しか起きない。

父兄たちが、スマホやビデオカメラでの撮影で、片手がふさがっていて

拍手ができないからだ。拍手してるのは、上級生や先生だけ。

今や保護者の関心は、子どもの晴れ舞台を「見届ける」から「記録する」に

変わってしまった。

 

私も大学生の息子がいるから、記録として残しておきたい気持ちはよく分かる。

10年後、20年後に映像をみれば、その時の感動がよみがえるし

将来、子どもの結婚式の、余興として流すビデオにも使えるかもしれない。

ただ、1つだけ注意してほしいことがある。

入学式などで撮影している父兄を見てると、だいたいの人が自分の子どもしか

撮っていない。

しかもアップの映像ばかりで、あれじゃあ入学式だが学芸会だか分からない。

それに、自分の子どもしか撮影しないのは、親のエゴだと思う。

子どもが本当に撮ってほしいのは、もしかしたらクラスメイトだったり

大好きな異性の子だったり、恩師だったりするのではないだろうか。

だから、我が子のアップばかり撮影するのはNGだ。

 

そういう意味では、入学式の様子を

PTAの役員などにお願いして、撮影してもらってはどうだろうか?

アップと、ルーズ(会場全体)と、3カメぐらい出せば

それなりに臨場感のある映像がとれる。

後日、その映像をうまく編集して、動画ファイルにして

保護者全員に配信すれば、費用もさほどかからないだろう。

 

とにかく、父兄には、我が子を撮影する時間は最小限にしてもらって

両手はフリー、子どもたちに精一杯の拍手を送ってもらいたい。

撮影の煩わしさに気をとられることなく、

娘、息子の、生涯に一度しかない晴れ舞台に、心おきなく感動してほしい。

 

家出娘

今日は、新聞のニュースではなく

独自に取材した「家出娘」について書きます。

彼女(仮名アイさん)は、北関東に住む二十歳の女性だ。

色白で、つぶらな瞳が特徴的。

クラスに1人はいる、“不思議ちゃん”タイプといえばイメージがつきやすいか。

まずアイさんの生い立ちを聞いた。

4人兄弟の末っ子で、父はアイさんが生まれてすぐに家を出て行ったため

まったく記憶がないという。離婚した理由は知らないそうだ。

「父に会いたいと思ったことない?」と尋ねたら

「別に。今さら現れて、父親ヅラされても困るし」

アイさんはもう数か月、家には帰っておらず、新宿をねぐらに生活している。

 「どうして家に帰らないの?」

「家族が嫌いだから」

「お母さん一人で、アイさんをここまで育ててくれたんでしょ?」

「でも、私のこと褒めてくれないし…いつも叱ってばかり

 叩かれたこともある」

家に帰らないで、どうやって生活しているのだろうか?

「働いてるの?」

「ううん」

「お金とか、食費とかはどうしてるの?」

「誰かが御馳走してるから、何とかなる」

聞けば、出会い系などで知り合った男性に、面倒みてもらってるそうだ。

「じゃあ、夜はどうしてるの?」

「ホテル」

男とラブホに泊まって、朝まで過ごすのだとか。

「だって一人では寝たくないし。

 誰かに添い寝してもらないと不安で眠れないの」

うーん、なんか救いようのない話になってきた。

こんな女性なら、即ナンパ師の餌食だ。

カネも、食事も、寝床も、みんな男に頼っている。

男は、彼女のカラダ目当てに近寄ってきて、

少し優しくしてあげれば、まんまとゲットできるのだ。

アイちゃんが、私のことが知りたいと言うので、少し自分の話をした。

「ボクにも、アイさんと同じ歳の息子がいるんだ」

「へえ、そうなの?」と、驚いた顔をしている。

私が、子どもがいるようには見えなかったのか、と思いきや、アイさんは…

「実は、私も子どもがいるの?」

「えっ?」

「いま生後5ヵ月」

「そ、それで、パパは?」

「誰だか分からない」

「ええっ!?」

まあ、こんな生活を続けてたら、いつか、こういうことになる。

不謹慎とは思いながら、質問してみる。

「中絶という選択肢は考えなかったの?」

「親にバレないように隠してたら、過ぎちゃって」

つまり、中絶可能な妊娠5ヵ月を過ぎてしまったのだ。

「結局、バレて叱られたんだけどね」

「じゃあ、赤ちゃんは誰が面倒を?」

「お母さん」

「なのに、家に帰らないの?」

「大丈夫、母は4人も子ども育ててきたんだから」

「でも、息子さんに会いたくないの?」

「そりゃ会いたいけど…いいじゃん、別に…」

「別にって…」

すると、アイさんは不機嫌になって

「どうしてそんなことばっか聞くのよ。現実から逃避したくってココに

 来てるのに。どうして現実に引き戻すことばっかり言うの。

 まるで学校の先生に説教されてるみたい!」

と怒り出してしまった。(ちなみに「ココ」というのは新宿のことらしい)

 

ますます救いようのない話になってきて、

私はそれ以上この話に触れるのをやめた。

要するに、アイさんは、父親が誰かわからない子を産んで、

その子を母親に預けて家を飛び出し、

自分は新宿でオトコ遊びを繰り返している…ということだ。

 

もちろん、この現状に、一番苦しんでるのは

アイさん本人であることは間違いない。

「ストレスいっぱいで、苦しいの。

 一人でいると不安でしょうがないの」と、泣いていた。

そして、その現実から目を背けるために、

自分に優しくしてくるオトコを探しては、一夜限りの夜を過ごしている。

でも、そんなことをいくら繰り返しても、救われない。

絶対に救われない。

 

アイさんと別れた後、取材者としての自分の未熟さを痛感した。

つい、親の立場になって感情的な質問をしてしまった。

所詮、私は取材者だ。

彼女の人生に深くコミットできる立場じゃないのに、説教などもっての他だ。

それじゃあ、どうすれば良かったのだろうか?

未だに答えが見つからない。

いずれにせよ、いろいろ考えさせられる取材だった。

アイさんに、穏やかな、こころ休まる日が訪れることを願って止まない。

人生、楽しんだ者勝ち!

80代の女性からのお悩み相談(きのう・読売新聞「人生案内」)

内容をかいつまんで紹介すると…

「子どもたちは独立し、夫はすでに他界しています。

 何の病気も、痛いところもなく、毎日、午前中に散歩、掃除、洗濯などを済ませ、

 午後は健康マージャン、夜は読書を楽しんでいます。

 決して裕福ではありませんが、お金に困ることもありません。

 でも、空しい…自分はこの世に必要とされていない存在です。

 まさに死を待つ身ですが、残された日々をどのような心持ちで

 生きていけばよいでしょうか?」

という相談事だ。

 

まず、この投稿を見た人の多くが

「なんて幸せな老後なんだ」と思ったのではないか

行間からは、きっと彼女は自分の人生を誠実に、きちんと生きてきた

素敵な女性なんだろうなあ…という印象が伝わってくる。

だから、子どもたちも立派に自立し、夫も看取ることができた。

80歳を過ぎて病気1つないなんて、

彼女は、恵まれた老後を過ごしてる1人ではないだろうか。

 

おそらく「心の持ちよう」の問題だと思う。

そもそも、この世に必要とされている人間なんて、どれほどいるのだろうか?

そりゃ会社や一部の仲間内で、必要とされている人はいるかもしれないが

それがイコール「この世に必要とされている」とは限らない。

私がやってる報道関連の仕事も、果たして本当にこの世に役立っているのか

実はただ社会をかき回してるだけで、この世にとってはマイナスかも

しれないと思うこともしばしばだ。

実際、自分がこの世に必要とされている存在かどうかなんて

疑問が大きすぎて、後世になってからじゃないと判断できないのではないだろうか。

 

その日の読売新聞の前ページを見てたら、漫画家の弘兼憲史さんの

インタビュー記事が出ていて、その中で彼は『人生、楽しんだ者勝ち』と

語っていた。

また人生案内のアドバイザーの精神科医さんも

大事なことは「生きることを楽しむこと」だと書いていた。

どうぞ、残りの人生を思いっきり楽しんで

老若男女いろいろな人たちと接して頂きたいと思います。

人と人とは、接しているだけでも多くの影響を与え合うものだ。

まして彼女のような素晴らしい女性ならば、尚さらと思う。

もしかしたら、そのことが、一番この世に必要とされる存在になるチャンス

なのではないだろうか。

子どもはダマされやすいと思え

先月26日、千葉県松戸市の小学3年生の女の子が

何者かに連れ去られ、殺害された。

依然、犯人は捕まっておらず、

近所に住むお子さんをお持ちの親たちは

さぞ不安な日々を送っていることでしょう。

 

昨年、神戸新聞に寄せられた投稿が大きな話題になったのを

ご存知だろうか?

あるマンションでは、小学生の子どもに

知らない人に挨拶されても返事をしないよう『あいさつ禁止』を

指導しているのだそうだ。

賛否の分かれるところだと思うが、昨今の連れ去り事件などを考えると

頷ける部分もある。

大人が純粋な子どもをダマすのは、そう難しいことではないからだ。

例えば、こんな例がある。

通学路を一人で歩いている子どもに、車に乗った見知らぬ男が

こう言って声をかけてきたとする。

 

「〇〇ちゃんだね、ママが交通事故に遭って大変なことになってる。

 病院まで送っていくから、急いで車に乗って!」

 

こう言われて、あなたのお子さんが、男のウソを見抜けると

胸を張って言い切れるだろうか?

「人はある感情に支配されると、冷静な判断ができなくなる」という

基本的な心理学を使ったダマし方だが、

ほとんどの子どもが「ママが交通事故」と聞いた瞬間、パニック状態になり

もはや、この男が悪いヤツで、自分をがダマそうとしてるなどと

考える余裕はなくなっているはずだ。

そういう意味では、この神戸のマンションの、見知らぬ人に声をかけられても

「返事をしない。相手にしない」という対応は

あながち間違いとは言い切れない気がする。

 

オレオレ詐欺』じゃないが、人をダマす連中は、悪知恵を働かせて

次々と新手の方法を考え出してくる。

うちの子に限って…と思いたい気持ちは分かるが

子どもはダマされやすいと思った方がいい。

そして、こうした手口から子どもを守るためには

日頃から子どもに「悪いヤツはこういう風に声を掛けてくるから気をつけろ」と

注意喚起を続けるしかない。

プラス・ハンディキャップ

 

『プラス・ハンディキャップ』というウェブサイトがあって

いろんな理由から「生きづらさ」を抱える人たちが、その思いや日常を

ネットで発信している(7日・東京新聞

障害をもつ人や難病、うつ病、性的マイノリティー、引きこもり、ニートなど…

そうした人たちの本音やリアルを知ってもらい、広く理解と関心をもってもらおうと

いうものだ。

今の時代、「生きづらさ」を感じているのは何もこうした人たちばかりでなく

一見、“社会的成功者”と見られる人たちの中にも多いのではないか。

私の高校時代の同期に、国立の大学病院の准教授がいる。

もちろん給料は良いし、社会的なステイタスは高いが、仕事漬けの毎日で

悩みも多いのだとか。

例えば、難しい手術の前日には一睡もできないこともあり

「50歳にもなって、受験生のような生活を送るとは思わなかった」と嘆いていた。

みんな多かれ少なかれ「生きづらさ」はあるのだと思う。

 

そのサイトの中で、佐々木一成編集長(彼自身も障害者だそうだ)が

日本テレビの24時間テレビについて『障害者はナメられている』という記事を

書いていた。

24時間テレビは、毎年毎年、障害の種類を変えて、手を替え品を替え

『障害者が頑張る姿』→『それを見た健常者は感動して涙をこぼす』

という図式の企画を繰り返している…と主張し、番組を見るたびに

「怒りと悔しさが入り混じる感情に悩まされる」と語っている。

 

確かにそうだ。

ダウン症の子どもが踊ったり、障害者が遠泳に挑戦したりと

その手の企画が多い。しかも、それは大きな反響を呼び、高視聴率をとる。

 

人の頑張る姿は美しい。

障害が大きければ大きいほど、ドラマ性も増す。

もちろん障害者が無理やり、やらせられてるとまでは言わないし、

それが本人にとって、今後の自信になるかもしれない。

でも、それを見ている視聴者の方は、違う感覚で見てないだろうか?

やはり障害者が、“見せ物”とされている感は否めない。

一方で、佐々木編集長は「障害者はもっと社会の中で頑張らないといけない」と

書いている。

障害があっても踊ることはできるし、泳ぐこともできるのだ。

現にダウン症のプロのダンサーもいるらしい。

「障害者は健常者と同じことができない」という思い込みがあるからこそ、

24時間テレビのような企画が生まれるのだ。

 

こうした障害者に対する過度な配慮や思い込みを払拭する起爆剤となるのは

パラリンピックだろう。

パラリンピックが広く認知され、障害者への理解が進めば

24時間テレビのような“お涙頂戴ネタ”が、企画として成立しなくなるのではないか。

野草のアザミに注目!

コーヒー豆や茶、カカオに含まれるカフェイン。

これらの植物が、なぜカフェインを含むかと言うと

抗菌作用があるからだそうだ(きのう読売新聞・夕刊)

寄ってくる害虫や細菌から身を守るための作用が、カフェインにはある。

そして、カフェインを人間が服用すると

『眠気を払う』という思わぬ“副作用”を発揮するのだ。

 

原っぱなどでよく見かける『アザミ』という野草がある。

赤紫色の花が咲く多年草で、茎や葉に鋭いトゲがあるのが特徴だ。

そのアザミの中に含まれる『タキシフォリン』という成分が

植物にとって何の役に立ってるか定かでないが、

人間にとっては、アルツハイマー病の予防になることが研究で明らかになった。

 

認知症は、脳の血管に異常なタンパク質が蓄積することで起きるが、

タキシフォリンは、そのタンパク質の蓄積を防ぐ効果があることが

マウスの実験で確認された。

研究センターの医師は「アルツハイマー病の治療につながると考えている」と語り

今年度中の治験を目指すそうだ。

こういう”副作用”なら、大歓迎だ。

日本アニメ100周年

日本でアニメーションが誕生して100周年だという。

アニメは、今や日本文化を代表する1つとして大きな存在になっているが

その原動力になったのが、70年代に放送された「宇宙戦艦ヤマト」だそうだ。

(きのう日経新聞・夕刊)

 

そのヤマトは、確か日曜日の夜7時台に放送されたと思うが

当時は視聴率が伸びず、全39話の予定が、26話に短縮されたことを

この記事で初めて知った。

私がヤマトを見たのは、そのあと平日の夕方に再放送された時であり

小学生だった私も、多くの友だちも見ていて

ヤマトの話題で盛り上がったのを覚えている。

 

アニメ研究家によれば、ヤマトには今までのアニメにはなかった、ある特長が

あるという。

それまでのアニメは、日本初の本格的アニメである『鉄腕アトム』をはじめ、

主人公のキャラクターを中心に発展してきた。

ところが、ヤマトには、物語の骨子のどこにも「キャラクター」が

登場しないのだそうだ。

個人にとらえきれない、『巨視的スケール』の世界観が、物語を支えている。

 

ヤマトに登場するのは、戦士たちだ。

彼らは、地球と、地球に暮らす愛する人たちを守るために、

惜しみなく命を捧げる。

その姿は、戦時中、敵艦に突っ込んでいった特攻隊員の姿とかぶる。

子どもの頃は夢中になっていて気づかなかったが、今改めて見直すと

ヤマトの乗組員たちは、1人1人の個性が無視され、お国のために命を捧げた、

かつての日本帝国軍人そのものではないか。

まあ、タイトルが「宇宙戦艦ヤマト」だから、

当然そうしたことを意識して製作されたと思うが、いま大人になって

改めて思うのは、そうしたものに熱狂した自分が、空恐ろしく思えるのだ。

 

手塚治虫は、戦前の反省から、人間の個性とヒューマニズムを描いた漫画を

世に送り出してきたが、ヤマトはその対極にある作品だと思う。

両者とも、日本のアニメ文化に果たした功績は大きいが、

不朽の名作かどうかは、後世の人たちの評価に委ねるしかないだろう。