ファミリー・トピックス

様々なニュースから、家族や恋人との話のネタになるようなものを月ー金でアップしてます

愚かな発言

もう30年前になるが、アメリカ南部の町アトランタにある

日本総領事館を取材で訪れたことがある。

プール付きの白亜の大きな家で

それは往年の『風と共に去りぬ』を彷彿させるような大豪邸である。

その家の住人である篠塚総領事が、現地紙とのインタビューで、

いわゆる “従軍慰安婦” について「売春婦だ」と発言したのだ(きのう・東京新聞

直接「売春婦」とは言ってないようだが、記事によると

「(彼女たちは)性奴隷ではなく、強制もされていない。

 家族を養うために、この仕事を選ぶ女の子がいる」と語ったそうだ。

要するに、自らの意志で身体を売ったのだから「売春婦」だと

篠塚氏は言いたかったのだろう。

どうして、そういうことを軽々に言うのか?

遠くアメリカの地で大豪邸に住んでると、心も態度も大きくなるのか

 

従軍慰安婦に関して、

私もいろいろな本を読んでみたが、真実のほどはわからなかった。

時代の証言者たちは高齢になるか、亡くなっていて

おそらく今となっては、本当のことは誰にも分からないのではないか。

 

ただ1つハッキリしているのは、先の戦争で言えば、

殴ったのは日本人で、殴られたのは韓国人だ。

だから、不用意な発言は控えるべきだ。

しかも外交官という、しかるべき立場の人が

公に慰安婦を「売春婦」などと言うのは、論外だと思う。

だから、日韓合意が締結したにもかからわず、

いまだに韓国人の怒りがおさまらないのだ。

これじゃあ、いつまで経っても東アジアの隣国と仲良くできない。

 

AIが人格を持った時…

今、時の人といえば、何といっても藤井聡太四段だろう。

14歳にして連勝記録を29連勝に更新、天才棋士を各メディアもこぞって

取り上げている。

この藤井四段を鍛えたのは、将棋のAIだという。

将棋ソフトとの対戦で、自分の手やクセなどを分析し、

いろいろな局面における判断力を養ったそうだ。

しかし、このAIは計り知れない潜在能力を秘めているらしく

例えば、将棋の世界で「悪手」という、打ってはならない一手があるらしいが、

AIは、そんな悪手を平気で繰り出してくるのだそうだ。

そして、そこから、形勢逆転する信じられない戦法をとるらしい。

 

AIには、「ディープ・ラーニング」という学習能力もあるので

対戦するばするほど、どんどん強くなっていく。

将棋ソフトのつくったプログラマーさえ、

「もはや自分の理解を超えてる」ほど語っている。

 

恐ろしいのは、AIが人格を持った時だ

賢くなりすぎて、いつかAIが何を考えているのか

わからなくなる時が来るのではないだろうか。

人間を見下し、人間の言うことを聞かなくなる時が来ないと

誰が断言できるのだろうか。

思考力や創造力を授かったAIが、何かのSF映画みたいに

反乱を起こさないと言い切れるのか?

今後、AIの技術が日進月歩で進み

我々の生活の中にAIがどんどん入ってくるだろう。

その時、便利さを通り越して

AIの不気味さが増大するような気がするのは、私だけだろうか…

 

元アスリートの単純明快アドバイス

読売新聞「人生案内」の、増田明美さんのアドバイスが面白い。

さすが元トップアスリートだけあって

語り口が前向きで、迷いがないのだ。

 

例えば一昨日は、40代の主婦からの相談で、要約すると…

『3人の兄弟のうち、大学生の次男は他人とコミュニケーションが苦手で

 授業と、深夜のコンビニ・バイト以外は、ほとんど家で過ごしている。

 友達はいないみたいで、いつも家でスマホをいじるか、ゲームをして

  過ごしている。社会に出てから、心配でたまりません』とのお悩みだった

 

この相談に対し、増田さんのアドバイスは…

 「人それぞれ。1人でいるのが好きな人もいます。

 それにコンビニでバイトできてるのだから

  コミュニケーションはとれてるはず」

と、次男のことを肯定してみせて、ゲームやスマホもに関しても…

「1つのことに集中できる性格ではないか」

と、どこまでも前向きに捉えている。

 そして投稿者の母親には、なぜか厳しく…

 「黙って見守ってください。

 あなたが次男をどんな時も受け入れてあげて

 帰ってくる場所を用意していれば、そのうち自分から巣立っていきます」

と、母親の姿勢をただし、挙げ句の果てに…

 「あなたが台所で鼻歌を歌ってるくらいが、ちょうどいいですよ」

と、ちょっとおチャラけたアドバイスで締めくくっている。

 

とにかく迷いがない。

だから、竹を割ったような単純明快なアドバイスで、心地よいのだ。

 

「毎日かあさん」卒業

毎日新聞連載の人気漫画「毎日かあさん」の連載がきょうで終了した。

のべ723回、2002年から始まって15年間、

漫画家の西原理恵子さんは

自らの2人の子の育児のエピソードと、その思いを描き続けてきた。

夫のアルコール中毒と離婚、

様々な苦難を乗り越えて、明るく前向きに生きてきた西原さんの漫画は

多くの育児に奮闘するママさんたちに、勇気を与えたことだろう。

その2人の子が、経済的には依存しているものの、

自らの道を歩み始めて、自立していったそうだ。

子どもたちの育児が一段落し、そのタイミングで漫画も終了させたのだろう。

 

最後の漫画は、西原さんの愛する娘、息子が

船に乗って港を出港していくシーンが描かれていた。

「お母さん楽しかった、ありがとう」と手を振る母。

その目には涙が止まらない…

15年間、お疲れさまでした!

 

若者たちの総選挙

仕事がら国会議員を決める総選挙には興味があるが

正直、AKBの総選挙にはまるで興味がなかった。

だが、今回は別だ。

20位になった須藤りりかさん(20)が、突然、壇上で

「初めて人を好きになりました、結婚します」と宣言したからだ。

 

この突然の「結婚宣言」に、戸惑いや批判が殺到しているとか

確かに、彼女を応援したファンにしてみたら

順位を上げるために投票券付きのCDを百枚単位で買ってたりするらしいから

「いくらつぎ込んだと思っているのか!」と怒りを露わにする気持ちも分かる。

でも、そもそもファンにそういう無駄なこと(1人で同じCDを何枚も持ってて

何の意味があると言うのか!)をさせるレコード会社が、一番悪い。

熱狂するのは若者だが、すべて大人がコントロールし、大人の都合で動いている。

 

しかし、須藤さんは、そんな大人たちの鼻を明かしてくれた!

『アイドルは恋愛厳禁!』という大人のつくったルールには従わず

自分の気持ちに正直に生きる道を選んだのだ。

今頃、事務所の人たちは青い顔をして、どういう対応をとるべきか

頭を痛めているだろう。

願わくば、須藤さんには、その純愛を貫いて

そのカレと結婚し、末永く幸せになってもらいたい。

単なる若気の至りで、男女の何たるかを知らない世間知らずの娘が

無分別に、その場の勢いで結婚を宣言してしまった…みたいな陳腐な話に

ならないことを願う。

2人が末永く幸せになってこそ、大人の鼻を明かすことになるのだから。

 

叩けば、直る?

その昔、ブラウン管テレビは、よく画像が乱れたりする故障が起きて

お父さんか誰かが、テレビのどこかをポンポン叩くと、あら不思議、

正常な状態に戻ったりすることが、よくあった。

これを「パーカッション・メンテナンス」と言うらしい(きのう・東京新聞コラム)

パーカッションは打楽器、メンテナンスは「修理」という意味だ。

今は、テレビが薄すぎてポンポン叩けないし、

そもそも、そんなことをして直るとは思えない。

 

さて、今年になってから「森友、加計学園」問題や、

きょう発覚した自民党女性議員の暴行、パワハラ等で

つまずきっぱなしの安倍政権だが

野党やマスコミ、国民の「パーカッション・メンテナンス」で

はたして正常な状態に、立て直すことができるだろうか?

 確かに、ブラウン管テレビを叩けば、

一時的に元の状態に戻ることはあったが、

たいていは長続きせず、すぐに廃棄してしまったのを覚えている。

 

アンデルセン

マッチ売りの少女や、人魚姫、はだかの王様で知られる童話作家

アンデルセンは、自伝を残しているが

ふつうは晩年に書く自伝を、なんと彼は20代で書きはじめ

40代で早々と出版したそうだ。

「私の生涯の物語が、私のすべての作品の最上の注釈になるだろう」と

語っている(きのう朝日新聞天声人語

ナルシストなのか、自己顕示欲が強いのか、よくわからないが

アンデルセンの強烈な個性を感じる。

 

靴職人だった父を11歳で失い、その後、再婚した母には冷たくされ

家を追い出されてしまった。

そのせいか被害者意識が強く、作家になってからも

「自分は日陰者扱いされている」

 「親切な言葉も友情の一滴も注がれない」と嘆いていてそうだ。

褒められると有頂天になり、けなされると絶望の淵まで落ち込む人だったらしい。

失恋を重ね、70歳でこの世を去るまで、生涯独身だった。

 

アンデルセンは、おそらく自分の創作した物語が

多くの子どもたちの心を揺さぶり、

永遠に語り継がれていくことを知っていただろう。

一方で、人として幸せな人生を送ることができなかったアンデルセン

40代の時、すでに自分の人生を見切っていたのかもしれない。

「人間は変わらない。

 だから私は、この先、歳を重ねても幸せにはなれないだろう」と。